三宅登之 ― 文法を研究してますけど何か? ―

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2008年 07月 29日

「中央線」のローマ字表記

武蔵境駅。「中央線」のローマ字表記のところが気になる。
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これだけだったら気づかなかったのだが、同じ駅表示の裏側に廻ると…
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「ちゅーおー」と伸ばすところを、ローマ字表記のアルファベット上の横棒で表しているのだろうが、「o」の上だけに横棒があるので、これだと

「ちゅおー線」

になってしまうのではないだろうか。(しかしそんなこと言っていたら上の写真の方は「ちゅお線」になるのか。)
いや、ローマ字規則を習ったのは大昔なので自信がない。息子が小学校でちょうど習っているようなので、今度聞いてみよう。
いずれにせよ駅表示の表と裏で表記が異なるのは変だ。どちらかに統一すべきではないだろうか。
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by sanzhai | 2008-07-29 22:38 | 日本語や英語について | Comments(4)
2008年 07月 25日

他学了英语

院博士後期の授業で読んでいる沈家煊の“把”構文に関する論文の続き。
次のような例が挙がっている。

*我吃了野菜。 我吃过野菜。
我把野菜吃了。 *我把野菜吃过。

“了”と“过”が動賓と“把”で補い合う分布を成していることを言っている。言うまでもなく“了”の方は上記の比較はちょっと厳密性を欠くのだが、まあそれはおいておいて、“*我吃了野菜。”は目的語が裸の名詞だからダメと言いたいわけである。
ところがそのすぐ後で以下の例を挙げる。

他学过英语。(现在不一定会英语)
他学了英语。(含有现在会英语的意思)

『八百詞』の有名な例の引用だが、“他学了英语。”は(上記と同じ理由により)これだけでは文として成立しない、言い切りにならない、という意見がネイティブの間から出た。

どうなのか?沈家煊は文末に「。」をつけていて、言えるという判断である。言えるとすれば“英语”は固有名詞扱いになっていてOKということか?ちょっと苦しいような気もするが。

ちなみに『八百詞』は用例の文末に「。」をつけていないので、確認のしようがないのだ。
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by sanzhai | 2008-07-25 17:22 | 中国語の疑問や気づき | Comments(0)
2008年 07月 24日

読書メモ

ことばと視点―阪大英文学会叢書4―、河上誓作・谷口一美共編、英宝社、2007年

これは認知言語学のブログ「認知言語学的メモ」で情報を得て読んだ本。
http://editech.exblog.jp/7472523/
書名には「認知」の文字はないが、実際には認知言語学関係の論文が並ぶ論文集である。
全部は読まずに興味のある論文だけ読んだ。
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by sanzhai | 2008-07-24 17:50 | 読書メモ | Comments(0)
2008年 07月 23日

当代漢語詞典

今日大学に書店さんがいらっしゃって、(また)辞書を買っ(てしまっ)た。

『当代汉语词典(国际华语版)』龚学胜主编、商务印书馆国际有限公司、2008年1月、99.80元
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(隣の現代漢語詞典と比べると大きさがわかると思う。)
裏表紙には

系统收录了中国内地和台港澳、东南亚以及海外其他地区的当代汉语常用语词82000余条。
所收字头除中国大陆通行的简、繁体,还特别提供了台港澳、东南亚和海外其他地区通行的字体,适合全球华人使用。
(後略)

のような説明が並んでおり、ここらへんがこの辞書の売りなのだろうと思う。
ただそれ以外にも、もちろん品詞表示もされているし、少しだけ現代漢語詞典と比べてみると、結構語釈の文言が若干異なっていたり、新たな用例が増えていたりするものもある。

ちなみにまったく同じ書名の別の辞書があり、前から自宅に置いてある。
『当代汉语词典』陈绂、聂鸿音主编、北京师范大学出版社、1993年、38.00元
たぶん関係ないまったく別の辞書のようだ。

どんな辞書か、今後使っていく上で楽しみだ。
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by sanzhai | 2008-07-23 23:25 | 日々の気づき | Comments(2)
2008年 07月 22日

“糊”

4限の大学院博士前期で読んでいる李临定『现代汉语动词』。

糊∶~窗户(受事宾语)
   ~纸(工具宾语)

のところで、この“糊”の発音は第何声なのかという質問が出て、一瞬石になった。私はてっきり第2声しか頭になかったのだが、第1声もあるのである。以下は現代漢語詞典の解説。

糊hū 动 用较浓的糊状物涂抹缝子、窟窿或平面∶用灰把墙缝~上/往墙上~了一层泥。

糊hú 动 用粘性物把纸、布等粘起来或粘在别的器物上∶~信封/~墙/~顶棚/~风筝。

例えば、障子などに穴があいて、障子紙をその穴がかくれるくらいの大きさに切り取って、それを穴にぺタッと貼って穴をふさぐ場合、紙を貼っていると同時に紙で穴をふさいでいるとも言えるので、第1声と第2声のどちらかなと、少し議論になったのだが、第1声の語釈を見ると「糊状のものを塗る」という感じだろうから、紙の場合は該当しない、よってここの李临定の例はいずれも第2声だろうということになった。

ただ、“用较浓的糊状物”とあるが、あるネイティブによると、例えばサロンパスのような伸縮性のある平面状のものを貼る場合でも“糊hū ”と言えるそうである。
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by sanzhai | 2008-07-22 23:22 | 中国語の疑問や気づき | Comments(0)
2008年 07月 18日

広島方言「たちまち」

昨晩テレビを見ながらワイシャツにアイロンをかけていたら(汗)、「秘密のケンミンSHOW」という番組で、次のような「ケンミン用語の基礎知識」を紹介していた。

「広島県民は、『とりあえず』を『たちまち』と言う」

私の母語は広島方言である。上記は確かにその通りで、「たちまち~しょうや!」(標準語訳:「とりあえず~しようよ!」)のように使う。標準語の「たちまち」とは意味も違うし、あと重要なのはアクセントが違う。(広島方言の「たちまち」は「た(中)+ち(高)+ま(低)+ち(低)」と、「ち」を一番高く読み、その後の「まち」は極限まで低く発音する。)
ただ私個人の語感では、この「たちまち」はうちの父親なんかがよく使っている。つまりそのくらいの世代の人たちの常用語彙のような印象がするが、自分はその年配の世代ほどは使わないと思う。
ところが番組では広島のけっこう若い人たちが「たちまち」をよく使うと言っていた。
私の脳の中の広島方言が徐々に標準語に侵食されつつあるということか?それとも単なる個人差か。

番組では広島県民としてアンガールズが出ていた。広島出身といえばPerfumeもそうです。矢沢永吉も広島出身だというのはごく最近になって知りました。
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by sanzhai | 2008-07-18 22:58 | 日本語や英語について | Comments(0)
2008年 07月 15日

“扔”の2つの意味

2限の院博士後期で読んでいる沈家煊『认知与汉语语法研究』の把字句に関する論文。
その中で次のような用例があった。

扔了手榴弹了 / 把手榴弹扔了

“扔了手榴弹了”中的“扔”主要作抛掷解,而“把手榴弹扔了”中的“扔”主要作抛弃解。
(139ページ)

つまり“扔了手榴弹了”は「投げた」、“把手榴弹扔了”は「捨てた」ということだろう。「そうなんですか?」とネイティブの皆さんに尋ねると「……」としばらくの沈黙。でもまあこの著者の言っていることは大筋では間違っていないようですが。
あくまでも上記のような“把NV了”の形になっているとそのような相違が出てくるということであって、“把”を使っていれば何でも上記のような違いが出るということではないだろう。日本の辞書、例えば講談社中日辞典第二版を見ると、

把球扔给我(ボールをこっちに投げてくれ)

は1番の「投げる、ほうる」の意味項目の用例として挙がっているし、

把果皮扔进垃圾箱(果物の皮をごみ箱に捨てる)

は2番の「捨てる、投げ捨てる」の意味項目の用例として挙がっている。
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by sanzhai | 2008-07-15 22:41 | 中国語の疑問や気づき | Comments(0)
2008年 07月 14日

読書メモ

茫然とする技術、宮沢章夫著、ちくま文庫、2003年

宮沢章夫の脱力系エッセイが大好きで、文庫本で出ているもので未読のものがあったので、買って読んだ。電車の中で読むと、笑いをこらえるのに苦労するから危険。(たぶん周りから見て危ない人に見えるから。)
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by sanzhai | 2008-07-14 10:02 | 読書メモ | Comments(0)
2008年 07月 10日

“醉”

このタイトル、私が酒を飲んで酔っ払ったことを書こうとしているのではない。(まあ確かに昨日は会議と打ち合わせ終了後、某副学長と一杯やって帰宅が1時だったが…。)

火曜日の大学院博士前期の授業で読んだ李临定『现代汉语动词』。
状態動詞のところで、次のような例文があった。(99ページ)

小李在地上醉着。

表面的には、李さんが地面(または床(ゆか))で「酔っ払っている」とだけ言っているのだから、酔っ払った状態で、立ったままでいる(例:酔って大声で立ち話をしているとか)、という状況かと思った。しかし、あるネイティブの方の意見では、この文では、“小李”は間違いなくごろんと横たわっている状態であるという。

実は日本語の「酔っ払った」よりも中国語の“(喝)醉了”の方が、酔った程度が深いのではないかと密かに思っている(密かでもないか)。日本語では少しだけアルコールが入っていい気分になったころ(「ほろ酔い」)でも「酔っ払った」と言えるが、中国語で“醉了”と言ったら、もうちょっと深酔いしてグデングデンになっているような感じがする。なにしろ『现代汉语词典』の“醉”の語釈を見ると“饮酒过量,神志不清”とある。そのこととも関係があるかもしれない。
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by sanzhai | 2008-07-10 23:17 | 中国語の疑問や気づき | Comments(0)
2008年 07月 08日

“剥”

今日2限の大学院博士後期の授業で読んでいる、沈家煊の論文(如何处置“处置式”?-论把字句的主观性)に出ている例文。
割了你穷耳朵,剜了你穷眼睛,把你皮也剥了。(《元曲选》)
この最後の“剥”を私がbāoと読んでいたら、あるネイティブの方から、ここではbōと読むべきだと指摘された。
外国人である私としてはとりあえず頼るのは辞書なのだ。『现代汉语词典(第5版)』の“剥bō”のところを見ると、

剥bō 义同“剥(bāo)”,专用于合成词或成语,如剥夺,生吞活剥。

とあり(“专”とある点に注意)、親文字としての用例はまったくなく、すぐに熟語の方に移行している。
しかし今日の何人かのネイティブの方の意見では、“剥bō”にも独立した動詞としての用法はあるという。そして“剥bāo”との違いは、

剥bāo:果物などの皮をむく感じ
剥bō:人間や動物などの(ぴったりくっついている)皮をはがす感じ

であるという。この場合『现代汉语词典(第5版)』の記述が現実とずれていると認めざるを得ないということか。

ちなみに“剥画皮”(化けの皮をはぐ)
は、『中日辞典第2版』(小学館)では“剥bāo画皮”となっており(621ページ)、『講談社中日辞典第二版』(講談社)では“剥bō下画皮”となっている(689ページ)。どちらが正しいのか。ネイティブ間でゆれがあるということか。
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by sanzhai | 2008-07-08 23:25 | 中国語の疑問や気づき | Comments(0)